一歳三か月の最後の日
今日は電車でお出掛け。
行き帰りよく寝てくれて母さんゆっくり出来た。ありがとう。
心配していた雨も大した事が無くて良かったです。
新生児の頃
生後18日目。
一歳三か月と二十八日
料理のレシピなどをメモしたノートを整理していたら、息子がまだ生まれたばかりの頃に描いてみたスケッチが出てきた。
その時の私はあまりに絵が描けなくなっている自分にびっくりしてしまって、「こりゃ精神衛生上良くないわ…」とそれ以後描くのををやめてしまった。
しかし今となっては一年以上前の事などもう他人事のように客観視出来て、「ああ、なんか全然絵にはなってないけど初めての自分の子を前にして戸惑いつつも必死に理解しようとして描いてる感じだね!」なんて偉そうなセルフ講評が出来るだけでなく、
「ああ、生まれたばっかりの頃は確かにこんな感じだったねえ。」と写真には写らない温度や息遣いなど思い出して、ちょっとアレな感じでもやはり描いとくのと全く描かないのでは全然違う事がやっと実感出来た。
全く描かなかった期間が口惜しい。
というわけで昨日の息子はこんな感じでした。
一緒に寝ちゃって、もう
毎日描く宣言しておきながら四日ぶりになってしまってお恥ずかしいです。。
イレギュラーな用事や都合よく寝てくれぬ子どもなど、色々ありますがそれでも何とかやるのが腕の見せ所ですね。
なんとか100日続けられるよう、ご覧になってくださる方は引き続き宜しくお願い致します。
東京の東の方にある摩天楼に上りました。
月曜日のことです。
全く苦労しないで高い所から景色を見るというのもなんだか現実味がなく、どうしたものかという気持ちになります。
しかしたまに鳥の目で街を眺めると、細々とした建物一つ一つの下にそれぞれ人の生活があることや、自分がそのほんの一滴なことを思い出させられるので、それはきっと良いことなのでしょう。
なんだかまあ、こんな大きなエネルギーありきの施設に来ると、日常や非日常が何に支えられてるのかが必然頭をよぎって、ああ摩天楼、ぐらぐら、と思うのでした。
またいつ、山の上から雲海を見られるかしら。
水たまり
今日は学生時代の友人の個展へお出掛け。
数年振りに会った彼女は相変わらず広い草原に住む背筋の伸びた草食動物のような、ふさふさとしたまつ毛に縁どられた綺麗な瞳をしていた。
彼女は水たまりに映る風景をモチーフにずっと作品を作り続けている。水たまりに映る像は揺らぎ、時と共に変わる。
自分が何をどう見るかは自分が決めること。彼女は美しいものを見ると決めている。ほんと、そういう人なのだ。
なんだか心洗われる思いでした。作品、とても良かった。
今の私にとっての視線の行きがちな所=“水たまり”はこの子か…なんて考えつつ帰りの電車で寝た息子をスケッチ。(見慣れない人には何だか分かりづらいかも知れませんが、抱っこ紐のフードを被っています)
ところで東京の地下鉄駅は子連れ移動にはトラップだらけで油断がなりませぬ。
部屋着は半てんです
子供の頃家で半てんを着せられていた名残で、自分の子にもつい半てんを買って着せてしまう、魔の半てんスパイラル。
やはりスイミングの後はよく寝る。
赤子の社交場
同居家族と過ごす時間が長かったり、実家の近くに住んで毎日のように行き来をしたり、以前からの友人関係で頻繁に遊べたりする環境や、仕事でそれどころではない場合ならば別に行く必要はないけれど、そのような環境ではないので予定の無い日は児童館や子育て支援センターという名の赤子の社交場に行っています。
まだ歩かない赤子を遊ばせられる所というのはそんなにないので行くとそれなりに楽しい。赤子は広い所で遊べてご機嫌になるし、親は大人とおしゃべり出来るだけでも気分転換になるので助かっている。
もっと小さい頃は個々に勝手に遊んでる感じだったけれど、最近は赤子同士で追いかけっこして遊んだりオス同士の本能?と思われるような小競り合いが起こったり家では見られない一面が見られるのも面白い。
大人も子供も、機嫌よくいられれば一番ですね。